2009年1月25日 (日)

どうして勉強しなくてはいけないの?

何で勉強しなきゃならないのか? 壁にぶち当たっても当たらなくても学生なら一度は思ったことがあると思う。 小中高、大学までどうしても評価の対象が「勉強」になってしまう。 サイン、コサインいつ使うん? 微分積分、科学者にはならん! まったくそうだ。 自分も高校の時にはいやいややっていた記憶があるからよくわかる。かといってやらなかったらやらないでいるとやはり大変なことになる。こんな葛藤を抱えながら何とかやっていた。 ぶっちゃけ評定平均あげるため。 結局行きたいところにいけるように勉強はしなくてはならない。 夢をかなえるために仕方のないことだ、と思っていた。 勉強は趣味という子供はまずいないだろう。 でも、人生何があるかわからない。大きな壁にぶち当たったとき逃げるわけには行かないとき、どうやって問題解決していくか?ということに対して勉強で考え方を鍛えておけば何かの手助けにはなるんではないかな、ということに気がついた。 答えはひとつではない。 苦しんで苦しんで自分なりの答えが出たとき凄く自身がつくのだから生きる上での解決方法を学ぶひとつの手段だと思うようになってきた。 どうせ勉強しなくてはならないのならそのツールを使えば1石何鳥にもなるのではないのかな。 科学者や医者にならなくても難題を解いて「わかった!」という感動を味わうっていいものだと思います。 人を喜ばすものでもなくて自分のためになんだけど今の子供たち、せかされるようにやっているのも気の毒な気がします。Dvc00154

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2008年12月28日 (日)

建前の多い日本人

京都での慣習で「ふぶ漬け食うていかれませんか」 お茶漬けを食べていかれませんか、と尋ねられたら「じゃ、いたたきます」とは言ってはいけないと聞いたことがある。 それはお客に対しての「早く帰ってくださいな」」とは直接言わない遠まわしな、おいとまして頂戴の意味だそうな。 素直な北海道民としては心にもないならそんなこと言うな!と思ってしまうが、直接いえない日本的なやんわりした表現のつもりなんだろう。 建前の多い日本人らしいが知らずに甘えたりしたら空気が読めないと非難されるかと思うと正直いい感じはしない。  そういえばの話だが、京都に本店がある「イ〇ダコーヒー」 私もよく書店に寄ったときは利用するのですが、サービスもよく格式を感じる老舗のカフェ。 こないだ行ったとき、カウンターに座った隣の男性、とっくに食事も済んだと見えてテーブルにもグラスしかく、ウェイトレスが頻繁にグラスを交換に来ていた。  「そんなに変えに来なくても・・・」と感じていたら、この店は京都が本店だったことを思い出し、そうか、と妙に納得したものだった。 同じような話、学生で京都かどうか忘れたがこちらの友人にアイスキャンディーを一口どうぞ、と差し出したそうだ「いいよ」と何度か断ったがそれならと一口、ともらったら「こいつ食べてんねん」と人に言いふらしたらしい。 そういうものかしら?  推測の文化も間違えばただの陰険になってしまいかねないがきっとそこは言葉のやわらかさがそう感じさせなくしているんでしょう。  今においてそういうやり方はみんながみんなやっているとは思わないが、知っていれば何とか対応できると思うがいい感じは正直しないな。  

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2008年12月21日 (日)

子供の携帯電話

先ごろ大阪府知事の橋下徹が子供の携帯電話の学校への持込を禁止すべきだ。と発言した。 今朝の新聞でも評論家の記事が載っていた。 危険なサイトから子供を守る、ネットいじめを防止させるというのが主な目的だろう。 しかしこれだけネット文化が定着した中でいきなり禁止に持ち込むには慎重になるべきだ。と一人は言っている。 そのように提案するにも正しい使い方を地域や親、学校で教育すべきだろうと。 もう一人は友達同士でのネットでのやり取りでは暗黙のルールがあり返信には3分以内というのがあるらしい。空気を読みあいながらお互いが苦しんでいる。 そんな中で大人たちがが枠を設け子供たちに言い訳できるような環境を作るべきだとも。 うなずける。  思春期の子供たち、友達のこと、勉強のこと、学校のこと、家のこと・・・いろんな悩みや葛藤を抱えて同じ悩みを持った分かり合える人とつながっていたいという思いはあるのだと思う。  同じ悩みを持ち気持ちに共感してくれる人がいたなら、今度は「どうして行かなくてはならないか」を考えていかなくてはならないと思います。 傷をなめあうばかりが友達ではないのだから。 やはりネットでの犯罪には人間の孤独さや寂しさが反映されているような気がします。 使い方を間違わないようにしたいものです。

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2007年7月31日 (火)

いじめについて思うこと

いじめの問題について何が原因か、ということを突き詰めると本当はすごく根本的なところに原因があると思う。 悲しいことに子供の世界でも大人の世界でも存在してしまう。 たちの悪い、弱いものをターゲットにストレスのはけくちを求める無差別ないじめにはほとほと幼稚で開いた口もふさがらない。 先日、子供の通う中学でもこのようないじめ事件が発覚し問題になった。今のいじめは陰湿で見えないところで行われる。教師もいじめをするような人間をかぎ分ける能力をつけていないといけないのだが残念なことにそういう教師が少ない。 陰湿ないじめをする子というのは教師受けが良かったり親の前ではとてもいい子だったりするのでまわりは気がつかないかもしれない。 しかしこれではいけないと思う。問題になったところで「誰がちくったのか?」という逆犯人探しが当事者の間で行われ今度はその子がターゲットになりいらぬとばっちりを受けることになるという。悪循環極まりない。 そんないじめにどう対応していくかというのが大きな課題であるが、なんたっていじめる側が悪いのだからそのようなことがあった場合どうしてそういうことになったのかと親や教師、周りが真剣に考えなければいけないことだ。 悲しいことにこちらも「気がつく」というアンテナが無いために気がつけないという人が多いというのが事実だ。 もうそのような人たちにはもっといたい思いをしなければわからないのでこっちの知ったこっちゃ無いのだが、とにかくそういう人には「被害をこうむって怒っている」ということを伝えるのが最初の仕事だろう。決して泣き寝入りしてはいけない!  こういうことをする人間は処分や処罰では済まされない。さっき、根本の問題といったが、家でもその風潮があったり、指導者がそうだったり、余計なストレスがかかっていてどうしていいかわからずにいじめに無意識に走る、または、万引きが癖になっているように手癖の問題かもしれない。もっと深くいけばなにか憑依したものがそうさせているのかも・・・そこまで考える必要があると思う。それにしても今のいじめ、昔のような見えるものではないからしっかりと見ていなくては。 友人とも「まだ不良のほうが目に見える分いいかもね」なんて話していた。  自分の子供もそうなってほしくもないし、ならないようにするためにもどうしなくてはいけないかということも考えていかなくてはならない問題だ。

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2007年6月14日 (木)

リメンバー

今日は家のプチリフォームのため朝からいろんな人が出入りしている。  1番乗りは畳屋さん。若い威勢のいいお兄さんがパパッと畳をはずして持っていった。 表替えをして夕方に持ってきてくれるという。 14年ぶりに外した畳のあとからは、綿ぼこりに混じって息子が小さい時に遊んでいたポケモンのカードがたくさん出てきた。〈懐かし・・・) 続いて建具屋さん。襖と障子の張替え。 サイズを測り、サーッとカッターで切り、のりを張ってぴっちりと枠にはめていく。手際が良くてスッキリする。 職人技を見ているのは子供の頃から好きで今でも見入ってしまう。きっと、手仕事をする人は好きなんじゃないかな。 そして、大工さん。トイレの電球が切れてしまったのだがカバーが回らないため交換ができない。いよいよ外側のガラスを割るしかないということになったのだがそれでも割れない。そこで大工の登場ということでお願いした。 来たのは年配の大工で「開かないはずはない」と言っていた。 力ずくであけたのではなくそこは長年のワザでやってのけた。周囲をゴムか何かの素材で覆い金属のフックのようなものを使っていとも簡単に外れたの。”Bravo!” 思わず拍手を送った。 せっかくのついでなので2段ベッドの解体、ドアのたてつけ、家具の取っ手も直してもらった。 営業の人がすごぉーく親身で、自分にできることはホームセンターで材料だけ買ってきて直してあげると言ってくれる人でとっても良かった。 礼状を書きたいくらいだ。またどこかリフォームする時はここにすると思う。 夕方に新しい畳が入り旅館のようになった部屋に大満足。いや、自己満足。 同級生に畳屋さんがいたことを思い出した。話しやすかった男友達だった。 しかし彼は5年前のこの時期にがんでこの世を去った。 入院しているとは聞いていたけどショックだった。 気の小さい彼には最後まで病気のことは知らせなかったと聞いている。 なくなった時、奥さんは「食べられなくで苦しんだから、楽になって向こうでうまいもの食べてると思うよ。」といっていた。 よく、高校の時「なんか作ってくれ!」って催促されたな。クレープがうまい!と言ってたっけ。 そんなこんな思いをめぐらせて、いぐさの匂いに浸っていたら木を削ったにおいがしてきて大工さん匂いだな、という感じがした。昔、実家では家の改築や修理は父の兄の大工がやってくれていた。 ん?・・・6月14日・・・あれっ、おじの命日のような?という気がしてきた。 多分そうだよな、と思いながら実家の父に電話をした。 大酒飲みのおじは肝硬変を患っていたにもかかわらずずっと飲んでいたなぁ、きょうはお酒はお供えできないけど新茶の美味しいのを気持ちばかり・・・

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2007年6月 7日 (木)

慎むべし!

わたしはよくカフェに行く。 家にいては気が散ってできないことなどは集中してできる。もちろんそれ以外の気分転換や外出した時の一休みのときも利用する。 そんなわけで今日は、外の空気を吸いたくなったので大手チョコメーカーのイートインカフェでパンを買って紅茶を飲みながら一息ついていた。 お昼時でもあったしいろんな客層の人がパンを買ってお昼を食べていた。 隣のテーブルには自分と同じくらいの年の小、中学生くらいの子供がいるんだろうと思われるような少し着飾った感じの奥様たちがいた。 多分、学校の集まりのかえりだろう。 別に話は聞くつもりではないが大きな声で話しているのでおのずと耳に入ってくる。 大体が学校のこと、習い事のこと先生のことのようだ。 まぁ、母たち集まりの話題はどこも同じか・・・なんて思っていた。しかし、聞いていて嫌だな、と思うのは権利は主張するけど義務は果たさないというような無責任な会話なのだ。  「あの先生にかわったから成績が下がった」、「そうしてくれるんならやってもらえば?」というような「人のせい」が多くて発展性がない。 ふと自分も、お母さんたちの集まりの中ではこういう言動をしているのかな、そういう風に他の人から見られていたら嫌だなと思った。気をつけねば・・・公衆の面前ではこういう光景は遠慮したい。 電車の中の高校生のマナーがなっていないなんていってられないぞ。  そして、反対のテーブルにはコーヒーを「コーシー」というおじさんが二人。 こちらは散歩の帰りのようだ。 大きな声ではあるがスッキリしたと言う感じだ。 今度は山菜取りに山に行くと話している。 よっぽど健康的でいいわ、とココロ洗われた。 「お元気で。」といいたい気分だった。 

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2007年6月 6日 (水)

持ち味を活かす

先日のマダムのアジアンスイーツが好評だったので月いちで美味しいお茶会を開催してほしいとの依頼があり、さっきからテイスティングかたがたお茶を淹れて飲んでいた。 今日は鹿児島の知覧茶。 こよなく愛するお茶で最近はネットショッピングで手に入れる。  温度計をで計って、時間を守ってちゃんと淹れると1煎目は色こそは出ないものの甘みがあってとろっとしている。 玉露を飲んでいるみたいだ。 今までも一応は湯ざましにして淹れていたつもりだが適当というのはそれなりの結果しか出ないんだと思った。 こんなにはならなかったもの。 特別、高価なお茶ではないけどきちんと淹れると最大限にその持ち味が活かせるんだな、と悟ったところでお茶に合うスイーツを考えよう。 目が冴えてしまって寝られそうもないので・・・

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2007年6月 4日 (月)

手のかかる幸福

最近は朝、早起きだ。 子供たちの朝練が始まったからだ。 息子は中体連、娘は30人31脚とそれぞれ入れ込んでいる。 わたしはここ2~3年、早起きが苦手でしゃきっと起きられない。まして「寝坊できない」というプレッシャーで夜中に何度か目覚めることもあり熟睡できないことも多い。 でもそんなことを言ってもいられない。 母にとっては大事なお仕事。 早くに送り出してしまえば自分の時間も増えることだ、と考えながらさくさくと家事をこなす。 子供がもっと小さい時は「早く大きくなってくれないかなぁ」と思っていたけど大きくなればなったで何かと心配事も増えてくる。 しかし、なんだかんだ言いながらこうして誰かを思いながらお世話をする人がいる、というこは幸せな事なのかもと思うようになってきた。 少なくても孤独ではないわけだから・・・。 藤原紀香が結婚式で両親への気持ちを綴った手紙の中で「わたしはいつまでも二人の子供だよ」と言っていた言葉が、両親にとっては「手を煩わす人のいる有難さ」だったりするのではないのかなと思ったりもした。

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2007年4月 5日 (木)

飴とムチ

今朝の朝刊で、ベテラン社員への忠告ともいうべき「新入社員との接し方」を綴ったコラムがあった。 団塊の世代は「会社に忠誠を示し、定年まで勤め上げる」と考えるのが当たり前。今は「まずは入社して自分に合わなければ転職すればいい」くらいに思っている若者が大半らしい。 上司はそのような考えの違う若者たちとうまくやっていくにはどのように対処していけばいいか。 例えば、部下に新しいアイディアを求めるとき、何でもいいから、と言っておきながら「そんなのはもうすでに結果が出ているんだよね」と言っては二度と発言したくなる。「それ、いいね。」と言わないまでも「もう少し詳しく聞かせてくれるかな」と言う態度が肝心だ。と筆者は言っている。 間違っても「何を甘えたことを言っているんだ、俺たちの時代は・・・」なんて説教を始めれば多くは転職を考えてしまう時代なのだそうだ。  何だかどっちもどっちだと思って読んでいたが・・・・今の20代は褒められて育てられた世代。サービスされるのにも慣れている。駄目だしばかりではよほどの根性がない限りやっていけないだろう。 一方、上司の立場からすればいつの時代も人を育てると言うことは難しいだろう。 育てやすい人も居れば、扱いに困る人間もいる。社会に出ればそれなりの節度もあるし言い過ぎてはいけないこともあると思うが、まともに挨拶ができないとか約束の時間を守らないなど、(社会人としては論外!なんだけど)致命的にいけないと思うことは治してあげるのも役目ではないだろうか。  何でもその人のためにならない。 それを駄目だしととり逆ギレするようでは浮かばれないものもあるが・・・ 自分自身も年齢を重ね首をかしげることもあったりするが、自分の価値観を持ちながら、新しいものも取り入れながら今の人たちともうまく共存していければいいと思っている。 なかなか難しいんですけどねぇ・・・ 

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2007年3月18日 (日)

賢くなる家

ある小冊子を読んでいたら、「家族のコミュニケーションがある家には子供の居場所があり、安心して勉強ができる」という見出しがあり読み進んでみると・・・有名私立中の合格した子供の約9割が家族のいるところで勉強した。という回答だそうだ。 リビングはもちろん、家のさまざまなところにテキストを持っていき、家族の気配を感じながら勉強していたようです。 「家族の気配」とは、お父さんが新聞をめくる音、お母さんが包丁で野菜を刻む音などは集中力の妨げにはならず自分の居場所が確認でき安心感を与え、この安心感が勉強への意欲や集中力につながるそうだ。 何かを話そう!と意気込むのではなくここにいる、という気配を伝えることが子供に安心感を与え、「頭のよい子が育つ家」を作っていくのだそうだ・・・・首都圏のハウスメーカーも昨年あたりから壁が少なく、キッチンが家の中心の開放的な間取りの「賢くなる家」を売り出しているようだ。  どんな家に住もうとも両親ともどもバタバタと忙しくゆとりがなければ安心感は伝えられないと思うが・・・・

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2007年3月14日 (水)

ノスタルジア

たったさっき、友人が漬物を届けてくれた。 親戚の方が漬けたという3種類の漬物は黄色の大根、赤の蕪、緑の野沢菜と彩りもきれいだ。 紙皿の上に和紙でアクセントをつけたオリジナル紙皿でひと手間をかけてくれた。 この心遣いがうれしい。  夕食は娘と二人なのであるもので適当に済ませよう、と思っていたし、昼はイタリアンでこってり系はちょっと・・・と思っていたからこういうおかずはうれしかった。 すぐさまごはんをチンしていただきました。きっと彼女が家につくころには食べ終わっていたかも・・・というほどの速さだったと思う。危うく全部食べてしまうところだったけど少し残して遅く帰ってくる主人の分は何とか確保。 自分はやっぱり日本人だ。 こと味覚に関しては生まれてからずっと親しんでいる味。 帰るところはやっぱりここなんだな・・・Dscn2241 Dscn2241_1 Dscn2241_2

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2007年3月 9日 (金)

悠長で何より

「お忙しいですね。」 挨拶代わりに良く使いますが、忙しいと言うと景気が良いという風な謙遜の意味をこめての日本人的言葉なんだと思います。 しかし、心を亡くすと書いて忙しいとなります。 忙し過ぎるとココロだけではなく自分も大事にすべきものまで失ってしまうような気がします。 悪いと言うのではない、自分が持てないだけの荷物を抱えすぎず、分をわきまえほどほどが良いような気がします。 イタリアでは「お暇でよろしいようで」と言う挨拶があると聞いたことがあります。 きっと、「悠長で何よりで・・・」と言うことなんでしょう。どちらかと言うとこちらのほうが良いかな。   さて話は変わって、御用達の「紅茶雅伝」さんからの懸賞に当たり、先ほど紅茶を届けてくださいまして、早速チャイティーシフォンを2台焼き上げました。 濃い目に煮出したミルクティーは濃度が感じるほどとろっとしていて力強い味わい。 ホットも良いけど氷をたくさん入れたアイスもおいしい。自分で淹れてもド0-ルのよりも断然おいしい。 イギリスのお紅茶的アフタヌーンティーも良いけど自分は産地や味ににこだわるシチュエーションは後から派だろう・・・インドの紅茶を扱っているお店が友人経営だなんて願ったりかなったりだ。 「プレゼント企画」良いですね~。  ブログは要チェックですね・・・。   

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2007年2月13日 (火)

好きなこと2

4年生の娘は、負けず嫌いの息子とは対照的に習い事が続かない。1年生のときの冬休みにスキー教室に通い楽しかったらしくまた翌年もお友達と通うといって習い始めたのだが初日、帰ってくるなり、「もう行かない!」と言い出した。「もぉ、お金も払っちゃったのにぃ~」といきなり言葉が出てしまった。何でかというと「先生が教えるのが早すぎてついていけない」と言う。 それでも少ししたら気が変わるかも、と思いしばらく様子を見ていたが一向に行く気にならなかった。結局、行ったのは一回きりだけ。私自身もわだかまりがなかったわけではないが「スキーは好き」と言ったのがせめてもの救いだと思った。 わたしたちの世代は「継続は力」とか最後まであきらめないで頑張る子がよい子として育てられた世代だ。 しかし今の価値観が多様化した時代では道は幾通りでもある。その道しかないわけではないのだからいろんな道を歩きながら進めばいいんだということに気がついた。 それよりも怖いのが、大好きなことが嫌いになってしまい一生のトラウマになってしまうことだと思う。 自分自身のことを言えば、子供のときに習っていたエレクトーン。 友達が始めるからといって何気にはじめたくなって習い始めたのだが、はじめのうちは楽しかった。 しかしそのうちだんだん嫌になり練習もしなくなった。しないでレッスンを受けることが続いたと思う。 そんなのが続き父、母は練習を無理強いさせた。 怒られて泣きながら練習した嫌な思い出が残っている。さらに追い討ちをかけるように、「ローンを組んで買ったのに」とか「途中半端は大嫌い」とまで言われた。 今となっては自分の中では払拭できてはいるが、自分が親になったときはこういうやり方は絶対にしないと心に決めたものだ。 そして・・・ウン十年の歳月がたった今は、またやってみたいかと聞かれれば、それほど思わない。 曲を演奏するのはできれば楽しいと思うがそれほどの情熱は今はない。 それほど好きでなかったのかな、とも感じる。  「飽きっぽいのが悪い」と教えるのではなく「今度やりたくなったらまたやろう」という心の余裕がほしいものです。  この冬休み、娘から「汽車に乗って、バスに乗って、またスキー習いたい!」といった言葉に、ほっと胸をなでおろした母でした。 しかし・・・女の子、お友達と一緒のほうが楽しいらしい。

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2007年2月 9日 (金)

片づけましょう!

昨日、実家の母から「遊びに行くから」という電話があった。 そのことを子供たちに話すと「部屋、片付けなきゃ。」といつも言う。 何でも母は几帳面できれい好き。 散らかっているのが嫌いなのだ。 床はもちろんだけどじゅうたんまでも拭き掃除をする。 当然マツイ雑巾なんて物でもシュッシュッと吹きかけるいまどきの物ではなく薄めて使うやつを使っている。今、あんまり売ってないと思うけど・・・  私は決して整理整頓は得意ではないけど、自分なりに不潔にならないようにそれなりには片付けてるつもりなんだけど母にすれば散らかってるらしい・・・だから、母が滞在してくれている間は気になるところを掃除してくれるから幾分か部屋が広くなるような気がする。 特に息子の部屋は母が来たときの寝床になるからすんごく整然としている。 これが2日と持たないのが残念なところだけどね。 片付くということは心の中も整理されるということですよね。 また、うちの主人は「机の中と頭の中は同じ」と厳しいことをいうけれどあんまり何もかも持たなさ過ぎるのは少し寂しい気もします。 無駄とはまた余裕ということに繋がるとも思うんですけどね。

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2007年1月 3日 (水)

ふと思う

今日は年末から実家に遊びに行っていた息子を迎えに行きがてら札幌駅周辺をぶらぶら。  娘も私も特に欲しいものもないのでステラの本屋さんで時間つぶし。 通路側にあった細木数子のコーナーにとまってしまい思わず「水星人の今年の運勢」を立ち読み。 今年から大殺界だと思っていたけど私は来年でした。 少し得したかな? いやいや、油断してはいけませぬ。 よいと思ったことは今年中にやっておくことにして、決して無理をせずという心持で行きましょう。  話はがらりと変わり、新年早々、「ココナッツ汁粉」にはまっていまして、今日もココナッツミルク買って来ました。 うんと冷やして食べるととってもおいしい。 白玉団子もいいけど杏仁豆腐に代えたリッチなのとか、絹豆腐にイチゴやバナナ、お豆さんを入れたりしてアレンジをしてみよう。  やっぱり日本人・・・アジアの味覚がすんなり入ってきます。  さて、帰省した息子は・・・たった、数日の間に何を得てきたのでしょう。  順番からすると父母といるよりも祖父母といるほうが短いので、愛情を受けられるうちに接してもらいたいのもあるけど、そのうち弱っていく老人(ゴメン)に対して、例えば、重いものを持ってあげたりだとか、高いところのものをとってあげるという当たり前のお手伝いができるようになってもらいたいという願いがあるのですよ。  じぃちゃん、ばぁちゃんの家の匂い、ご飯の味、生活習慣、自分のうちと違ったゆったりできる空間があるというのはいいもの。 行きたいと言ううちは行かせたい場所です。

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2006年11月28日 (火)

将来の夢

それは、おばあちゃんです。 孫がかわいくてかわいくてしょうがない、おばあちゃんになりたいのです。  まだ、子供を育てている段階なのに、気が早すぎだけど・・・それは、私自身もおばあちゃんがよき理解者だったこともあるけど(おかあさん、ゴメンネ)、下の娘がまだ小さいときにいつも公園に来ていたユウキくんのおばあちゃんというひとがとっても印象に残っていて「ここまで面倒を見られるおばあちゃんっていないよな」と思うほどの人で、そんなふうになりたくて・・・ とっても明るく、元気な、いかにも働き者って感じで、いつも自転車の後ろにユウキくんを乗せて毎日毎日公園にやってくるのです。 冬にはそりに乗せて、雪山を作って一緒にそりに乗っていたほど。声かけもよくって「楽しいねぇ~」、「お花きれいだねぇ、これはチューリップっていうんだよ」と教えてあげているの。 子供を公園に連れて行ってるときって「いつまで続くんだろう」と先が見えないように感じることもあったけど、そのときしか味わえないことなんですよね。  そのおばあちゃん「来年は幼稚園行っちゃうから、もう、淋しくて淋しくて・・・」とまで言っていました。 器の大きさを感じました。 今でもたまに見かけますが、お元気そうで何よりです。 20年後のわたしは・・・そんなおばあちゃんみたくなって、どこにでも連れて歩きたい。体がきかなくなっていたら膝の上で一緒に絵本を見たり、絵を描いたりしたいんです。  まだ見ぬ君はきっと世界一、かわいいと思うに違いないだろうな。  本当にそんな風になりたいからイDscn0659 Dscn0666 メージを強く描くんです。  

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2006年11月26日 (日)

血は争えない・・・

よく人に、「料理好き」は誰の影響なの?ということを聞かれるのですが、 いったい誰なのかな、実家が料亭、とかではないし、八百屋や魚屋でもない公務員の家に育ったわけで・・・しいて言えば、母方の祖母でしょうか。 昔の人でしたから普通のことでしょうが3度に3度、きちんと作って、家族の胃袋を満足させてくれました。 すごく豪華な食事をしたわけではないけど、お正月にはご馳走をたくさん作ってくれたし、お彼岸にはおはぎ、ひとが集まればジンギスカン、(道産子の焼肉はコレでした。) 手巻き寿司、というようなメニューでわいわい楽しく食卓を囲んだものでした。 このころのよき記憶が、今の向学心につながっているのかなと思います。そんな環境を与えてもらった祖母には感謝しています。そして、好きなことには情熱を注いで、自分なりに極めたい気性は紛れもなく父親。 今は、退職し隠居暮らしですが、とにかく、じっとしていない。 日の明ける前から起き、自分の部屋で書道、そうでなければ、自分の山で庭木の世話をしたり、自分が建てた東屋で、自分の世界に没頭しているのでしょう・・・なんせ、自分中心のB型ですから。   顕著な遺伝子を受け継いでしまいました。せっかくだからいいように使えないかと考える合理的なAB型の娘。 やっぱり似たのか来年には、自分の庭を好きなようにレイアウトし、お友達を呼んで、「ガーデンランチ」、そして、家族とは「サンデーブランチ」を、実現したいんです。  だって、「不思議の国のアリス」に出てくる、毎日つづくDscn0580_1 お茶会に憧れるんですもの。 ”もし誰も反対しなければ、なんでもない日オメデト! Happy!”ってね。Dscn0546_1 Dscn0575

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2006年11月22日 (水)

ふと思う

「大事な人を数えたら、けっこうたくさんいて そんな自分は照れるけど、幸せだなんて思った・・・」  この詩、大好きなマッキーの「雪に願いを」という曲のフレーズであります。  最後は、「みんなに素敵な笑顔積もりますように・・・」と結んですねぇ。 さすがマッキー器が違う!  さっき、きみちゃんから、昨日のゆりねキッシュのおいしかったよメールが届いていました。 おきらくでおやつを心待ちにしてくれている子供たちや、マダムたち。私の作ったお菓子やパン、おいしいねって喜んでくれる人のいる幸せ、食べてくれるひとのいる幸せを感じます。 ひとのいる温かさを感じます。  Dscn1632 Dscn1614 Dscn1768 みんなからのうれしい言葉を力に変えてがんばろうと思うんです。

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2006年10月 5日 (木)

手をかけるという愛情

息子の同級生にマサシくんという子がいます。とても穏やかな男の子です。  低学年のころはゲームボーイを持ってよく遊びに来たものです。 ある日、マサシ君の膝を見てみるとウサギさんの形をして、はぎれを合わせたアップリケがしてあり、あまりの丁寧さにほっこりと暖かいものを感じました。こんな風に手をかけてくれるお母さんっていいな。と自分も母ながらマサシくんがうらやましい、なんて思ってしまいました。じつはマサシ君のお母さん、学校のバザーでは大活躍のスーパーマザーなんです。手先が器用なことはもちろん映画さながらの大きなセットまで作ってしまうんです。作る作品の丁寧さとリアルさに毎年ため息が出てしまいます。かといって、出過ぎることなく自分なりに貢献しているというかんじの方で、「能ある鷹は爪を隠す」という言葉がぴったりの人。 自分の中でも師と仰ぎお手本にしている人です。 以降、少しでもつめの垢を煎じて飲もう・・・とこころに決め子供たちのジャージのほころびやくつしたの穴あきくらいはせっせとチクチク針を刺しています。その甲斐あってか、息子は穴が開くと「縫って!」と持ってきます。今は簡単に物が手に入る時代、しかも手間を考えると買った方が安い場合もあるけれど、せめて子供たちが縫って!と持ってきている間はせっせとリペアーしたいな。 いい加減くたびれてきたら、天命を全うしたということでいつでも捨てられますもの・・・・

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